靴下の移り変わり

元々は直角だった

靴下の起源から見ると

現代では多様な種類の靴下が生産されて、シーンに応じた利用が普遍的になっている。就職活動中に使用する、勤労に勤しむ際に使用する、結婚式に出席する際に使用する、といった具合にだ。どのシーンでどんなものを、どう使うかは特別変わらない。ルーズソックスのようにファッションとして扱うことの方がよっぽど例外中の例外と見るべきだ。元は手編みで1つずつ作られていた、その起源を思えば現代のような大量生産技術がまだ誕生していなかった時代の事を思うと、一足作るだけで大分手間がかかっていたのです。

カラフルになったという点も歴史から見た点でしょう。冠婚葬祭や就職時などでは決まったカラーを使用するのがマナーとして囁かれていますが、普段の日常で靴下を使用する際には何をどう利用するかはその人自身の趣味によって任されています。なので靴下はやたら同じ色ばかり持っている人もいれば、原色はもちろん多種多様な色合いをしている靴下をその日の気分で使い分けている、なんてケースもあります。

靴下の機能などを考えればそういう使い方は正しいものではないのでしょうが、今となってはファッションの一部となっていますから時代の流れでもある。そんな靴下の歴史を遡ってみると、黎明期と言える時期から時が過ぎて1500年代頃に作られた靴下の形は、足の形状に合わせた『直角サイズ』だった。

元々はまっすぐに作られていた

今でこそ靴下は120度の構造となっている、それを不思議なことだと感じたことは筆者にはないが、言われてみれば確かに疑問ではある。人間の足は通常90度で保たれている。120度開いた足ではまともに歩くことは出来ないことを思うと、言われて初めてハッとなります。

靴下の歴史において元は90度で作られていたのは、手編みだったことも関係している。また当時靴下なる物を履くのは一部の人だけで、中でも手編みの絹で作られた靴下は当時のイギリスを治めていたエリザベス女王1世に献上されたことも有名な話だ。またこのことをきっかけにして大量生産という手法に頼らず、全て手編みで作るようにと通達を出したと言われている。それだけ手編みの靴下であればあるほど履き心地が良かった事を暗に意味しています。

そして手編みだったこともあって、靴下は自然と足の形状に合わせて90度の角度で作られていた。

120度になった経緯として

ではどうして靴下は90度から120度へと変わってしまったのか、それは靴下を大量に作り出す編機を生み出したウィリアム・リーが関係している。エリザベス女王は手編みを推奨する一方で、ウィリアムの登場と靴下の大量生産に対する技術革新により、変革がもたらされた。

手編みで作るよりも機器を用いて大量生産するのとでは、およそ6倍ほど速さが違ってきます。それだと粗雑な物ができるからこそ、女王は手編みにするべきだと考えたことに違いはありませんが、編み機の改変により手編みと遜色ない仕上がりになっていったことから、考えが改まっていったのです。やがて生産の過程で90度から120度に変遷したのには、編み機によって編まれる中で自然とその角度に落ち着いていったというのが経過の一途だ。

実のところ理由という理由があるわけではなく、ただ工業的な面で120度にすることで生産スピードの向上が望めたから、というのが大きな理由と言えます。

無論90度に越したことはない

靴下の形、主に角度が変わっていった点を見ると史実に刻まれた工業化による記録の発達を垣間見ることが出来る。産業革命とはまた違う、当時にすれば最先端の技術を用いることで、靴下を多くの人が使用できるものへとなり変わっていった。

それだと履き心地や足の形といったものを考えないで生産しているのではと、そう思うのが普通でしょう。それについてはむしろ問題だと言われることなく、ただ見た目の美しさから120度になったとも考えられている。90度で作られた靴下よりも、120度で作られた靴下のほうが店頭に並べた際にはディスプレイとしての相乗効果が高まるから、というのが大きいようだ。こう色々突いていくと見えてくるのが、90度ならより理想的である一方で120度の方がお店側にとって売れるコツになるから便利なんだという本音と建前が使い分けられているのかもしれません。

靴下の歴史は90度、直角が全ての始まりですが売上という経済面での話になると例え足の形を無視してでも120度にする必要があった、そう分析できる。

靴下の移り変わり