靴下の移り変わり

日本古来の靴下といえば

足袋の存在について

日本では足に履くものといえば靴下、と言うよりは『足袋』の方が一般的だと考えている人が殆どのはず。実際に自分が履いたかどうか、経験に関係なくこの国では足袋こそ足に履くものとして一番古いと言われている。それは事実に相違ない、ではいつから足袋が親しまれているのかと言うとその詳しい起源は明らかにされていません。いくつか説はあるものの、本当にそうなのか正しい情報が見つかっていないというのが正確だ。では今現在仮説として考えられているものは何かというと、

1:平安時代に貴族が履いていた下沓

2:漁師が履いていたとされている皮製の靴下

どちらかと考えられている。平安時代の靴下に関して言えば、足袋の原点は中国から流れてきたことから始まっているという説もある。ただ歴史的な面からすれば、大陸から伝来したと考えるほうが妥当だ。履物として愛用されて履いたものの、今でこそ足袋は草履を履く際に着用するモノと見られていますが、もし仮に平安時代からの説が正しければこの頃はまだ草履を履く習慣はなく、現代でいうところのスリッポンやブーツに比する物を好んで履いていた。それらの靴を履くための足袋というのが原点とも言われているので、真実がどこに由来するのかは興味深い。

足袋についての歴史や記録は数多く残されており、また現代人のように足袋といっても一口に種類を限定出来るものではなかったとも言われている。それは現代の靴下使いにも繋がる、シーン別の使い方が平安時代から存在していたのです。

足袋の使用方法

現代でも靴下はシーン毎に長さや種類、色などに配慮して使用しなければならない。冠婚葬祭の時に迷いやすい足元の配慮も、基本的には黒などを使用するのが基本だ。知らないで白の靴下などを履いてしまうと、一発で世間知らずとばかりに揶揄されてしまいます。一昨年訪ねて友人の結婚式で、同じく出席する友人が靴下の色が灰色だったので指摘したら、逆ギレされたという事も考えると、意外と疎かになりがちな部分だ。

今でも見落としてしまう人もいることを思うと、足元まで気を使い過ぎではないかと思ったりしなくもない。ただこの流れはすでに平安時代から完成されていたとしたら妙な既視感を介して納得してしまうだろう。ちなみにこの頃は足袋だったが、使い分ける際がやはり基本だったという。礼服には綿の足袋、朝服には白を着用とシーン別で使い分けられていた。更に身分の違いによって綾絹や練絹、麻などの材質を使用しなくてはならないという決まりもあった。それこそ蹴鞠や舞楽のような娯楽に興じる際には足袋は足袋でも皮革製のものを使用するという、そんな使い方をするのが普通だったという。現代の靴下使いがややこしいのは、どうやら古代から続いている風習のようだ。余計な事をしてくれたもんだと呆れる人もいるでしょうが、伝統と歴史の応酬と思って諦めるしかない。

一般人には縁のない品だった

足袋と靴下は一見すると縁のないもののように見えるが、普及などでは大体似たようなものだ。足袋が登場した当時は、それこそ貴族や後に登場する武家で生まれた人々が使用するものとして見られていた。室町時代以降に草履は普及する過程で足袋も流通していく。けれど年がら年中足袋を履けるかといえばそうは行かなかったというのも特徴的だ。もし城内などで足袋を履くには老中、または城主の許可を求めなくてはならず、室内で履けるのも旧暦の9月から翌年2月までと、細かく足袋について規定していたケースも見られています。

これには人前で足袋を履いて現れる方が無礼だと考えられていた。城の責任者などの前ではいかなる理由があっても素足でいることが礼儀であり常識であり、しなければいけないこと、そう見られていたのです。

いつから流行りだしたのか

そんな足袋が一般人の間で普及しだしたのは、なんと明治に入ってのことだ。かなり遅い時期からようやく一般庶民の間で広く浸透していき、ファッションとしてもそうだが、どちらかと言えば実用性重視で使用されていたのが背景にある。中でも特に言われていたのが保温効果、つまり足袋を履いていると暖かく、冬場には最適だった。

ただ足袋の発展は戦後において和服よりも洋服が一般化したために一部の人達にしか愛用されなくなっていき、段々と衰退の一途を辿るようになります。

今はブームになることも

日本古来の靴下である足袋、かつてあった形から現代人に親しまれやすいタイプへと変化して出来上がったものもある。洋服にも合わせられる足袋も開発されて、若者たちからは最先端のモードファッションとさえ見られるようになった。日本の足袋がそこまでの進化をたどるなど誰が予測したことか。それを象徴するように、様々な種類の足袋が制作されている。

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